受け継いだ宝を磨くために、松山城・城山公園の整備を推進します
「春や昔 十五万石の 城下かな」
これは、明治を代表する俳人・正岡子規がよんだ俳句です。また、市立小学校53校中17校、同中学校29校中6校の校歌に、松山城もしくは城山を指す言葉が使われているほど、松山城は昔から身近な存在です。
松山城の天守は、江戸時代またはそれ以前に建設され、現代まで保存されている、「現存十二天守」の一つで、松山城は、1952年に、城郭のほぼ全体が、国史跡に指定されています。この大切な文化遺産を、次の世代へ、しっかり継承していきたいと思っています。
戦後まもなく、お堀が埋立ての危機に!
二之丸跡の西側から南側にかけてあった「内堀」は、戦後まもなくGHQの指示で埋め立てられました(現在は、県庁西駐車場や園路などになっています)。南堀端や西堀端として残っている外堀も、内堀に続いて、埋め立てられそうになりましたが、先人の懸命な働きのおかげで、埋立ては回避されました。
歴史的価値も、満足度も高い松山城
インターネット上の「旅好きが選ぶ 日本の城ランキング」というサイトでも、毎年、上位に選ばれていますが、今まで以上に多くの見学者や観光客が訪れる、歴史的観光施設にするためにはどうすればいいのでしょうか。
お城の魅力は、本丸、石垣、お堀の三つが総合的にもたらす、威風堂々とした雄姿だと思います。埋め立てられた内堀の復元こそが、成功の鍵ではないかと思います。
市民にも、観光客にも満足して欲しい
史跡である松山城内では、文化財保護法の規制により、遺構の保護と史跡景観の維持のため、できることは制限されています。
「城山公園(堀之内地区)第2期整備基本計画案」では、四国がんセンターがあった御殿跡を中心とした地区を、ニューヨークのセントラルパークのように、市民や観光客が憩う公園にする予定です。また、埋め立てられている内堀は50センチ程度掘り下げ、水色の舗装をするなどして、水堀だったことを紹介する計画です。
オール松山で、宝として磨き上げ、後世に残していきたい
行政として堀之内地区の整備計画はありますが、市民の皆さんからも「このように使うことはできないか?」と声を聞かせていただき、自分のこととして、まちづくりに参加していただきたいと思います。そのまちづくりに企業も参画し、行政はそのような企業を支援する。「松山城」の魅力を磨き上げるために、オール松山(市民・企業・NPO・行政)が一丸となってまちづくりを進める、そんな流れを作っていきたいと考えています。